2017年3月5日日曜日

52年ぶりの女木島

2017年 3月4日                                                                     52年ぶりの女木島      
tさんが、女木島へのクルージングに誘ってくれた。学生時代、恒例の新入部員歓迎クルージングで女木島へ行き、(確か、菊田旅館?)旅館で歓迎会をした。若さに任せて一晩中飲み明かすという滅茶苦茶な歓迎会なので港と旅館と洞窟しか知らない女木が、瀬戸内芸術祭関係でどうなっているのか興味があった。
tさん夫の操舵ぶりはさすがでした。

帆船のようなピアノのようなオブジェ。はっとするもの少なし。

同行の一人が眼下に見えるのが大島青松園と教えてくれた。こんな近くに苦難の島があったことはショックだった。隔離され無念の思いで暮らしている人たちのことをその頃は何も知らなかった。

島の西側にある、地域の人々の生活の中での大きな写真塔。私と同じ時代を生きていたということは、服装、顔つき、風習などから分かる。故人も多かろう。古びた映画館の宣伝ポスターのようだがものすごい親近感がある。

通りすがりのおじさんとよもやま話。女木にもイノシシがどこからか泳いで渡って来て、農作物にかなり被害があるという。ジャガイモはその食べ残しとか。

空地の雑草対策、見苦しいけど仕方なしか。

堤防のこちらで何かを踏んでいるらしい影が見える。近寄って尋ねると足踏みで銀杏の皮をむいていると言う。
袋の中身はかなり大量にある。強烈なにおいなので海中でつぶすんだ。島らしい。
女木には無人の廃屋がたくさんある。一方で、カフェやレストランらしきものが新しくできている。
大阪からの定期便の船で日帰りで来たという旅行者もいた。住人は入れ替わって時代は流れていっている。 

2016年10月3日月曜日

海の近くに住んで

2016年10月1日

                          海の近くに住んで



現在、宇野駅から旧国道フェリーへ向かって歩くと途中で旭橋の上を通る。

昔、旭橋の東側では、樋門を作るために潜水服を着た人が何日も混濁した海の中に潜って作業

をしていた。

 「海底2万マイル」の挿絵でしか潜水服を見たことがなかった私は、よくその現場で潜水夫のよ

うすを見つめていた。

私の住んでいた浜崎町は、この辺りから旧国道フェリーを東端とし、そこには、岸壁と階段と3,4

の桟橋があった。

西端は現在の玉野警察署前の南北を走る道路で、その西は、つまり今メルカがある辺りも含め

て全部、入浜式の塩田があった。

在は、駐車場になっているが、ここにかつては玉野警察署があった。

先日、「ためしてガッテン」で、人工呼吸の話を放送していたが、思い出すことがある。

ある日、用事で出かけた途中、警察署前の岸壁に差しかかるとお巡りさんが4,5歳の女の子を

毛布の上に寝かせて人工呼吸をしていた。

用事を済ませてまた差し掛かったのは20分ほど後だったろうか。

さっきのお巡りさんとは違った人が、まだ人工呼吸を続けている。

ことの成り行きをじっと見ている私。

3人以外誰もいない。

そのうちまた、違う若いお巡りさんが警察署から出てきて人工呼吸を替わる。

何人か替わり、長い時間がたったように思える。

その内、一瞬、胸を押したとき微かに「うっ」という声を聞いたように思った。

それがだんだん「う」になり「うーん」になり突然「うわーん」と泣き出した。。

生き返ったんだ!

ものすごいタイミングで知らせを受けたお母さんが息せき切ってやってきて泣いているわが子を

抱き上げた。

どうも、岸壁から転落したらしく、海中にいるのを発見し引き上げ、人工呼吸を続けていたらしい。


海近くに住むのはそれなりのリスクがある。町内のSさんの坊や、Tさんのお爺さん。痛ましい。


写真とよく似た感じで、県営桟橋があり小豆島、豊島、直島などへの船が発着していた。

岸壁にはO回漕店と食堂があって、若き日のOさんが自転車で荷物の受発送をしていた。

食堂は注文すれば警察の差し入れもしてくれた。

その後、24時中運航しているフェリーが、海中に多くの酸素を取り入れているとかで、鮮魚の輸

送技術が不十分であった時代、韓国から京阪神に送る鮮魚を生け簀で一時、生かす港でもあっ

た。

80年もすればほとんどのものが、日本では変わっていく。


2016年9月9日金曜日

2016年9月9日
                    海



小さな島にある母の実家に行くと重徳(じゅうとく)の孫だと屋号で呼ばれる。

大昔、所有していた重徳丸なる砂糖運搬船
が、砂糖を積んだまま嵐で難破し、海の水が少し甘く

なったそうなと母が語る。

島育ちの母は、貝を掘らせば名人、ガスランプをつけて夜の海で漁もする。

桟橋のポンツーンの上からアミの群れを見つけると家に帰り大きな竿の付いた網を作って、引き


綱を引かせて、大量のアミ捕獲。

私に、海は面白さの尽きぬ宝庫と教えた。



唐琴にあるS歯科に月1,2回通う。

橋梁工学の粋を集めた瀬戸大橋を眺めながら走る。

雲と海が素晴らしさをいっそう引き立てる。



今日は少し曇って見えにくいが、讃岐富士も坂出工業地帯も高松も指呼の間である。



大かぼちゃを愛するS医師の今年の出来具合をちらと盗み見した。

どうか昨年より大きくなりますように。

そして、サンフランシスコで会えますように。

2016年8月31日水曜日

シフォンケーキを習う

2016年8月30日

                     シフォンケーキを習う



あるところで、美味しいシフォンケーキをいただいた。教えを乞うと二つ返事でOK.

写真の材料+卵6個が材料全て。


ふわふわで大きく美味しいシフォンケーキ。



シフォンケーキは泡立てが決め手だ。ベテランは上手に泡立ててひとつの失敗もない。

この日は14ホール焼いた。ナイロン袋に入れて空気を保って上にちょこっと飾り。


みんな熱心に作業に集中する。



私のシフォンケーキの思い出は、.ニュージャージー州のFさん宅でいただいたもの。

Fさん手作りの見事な抹茶シフォンケーキと玄米で作ったおはぎ。


その時から自分でシフォンを焼きたいと思っていた。


便利な搾り出し生クリームはエブリィにあるとHさんに教わった。


Fさんご夫妻の優しい気配りは終生忘れない。

2016年8月30日火曜日

ミニソフトバレー

2016年8月29日 
                  
                       ミニソフトバレー




今から、25,6年前、ひどい肩こりと、そこから来る偏頭痛に悩まされていた。

何気なく「広報たまの」を見ていると宇野小学校でミニソフトバレー教室が開かれているとのこと。

痛いバレーではないので教室に参加。


程なくこれは中年おすすめスポーツだと感じ、運動できそうな友人には片っ端から

「中年お薦めスポーツだから練習においで」と声をかけまくる。


みんな何回か来るが「きつい」と言ってその内、来なくなる。続いたのはKさんと私だけ。


つてをたどり今は週4回市内あちこちで練習をしている。

偏頭痛と肩こりは嘘のように消えた。


嫌な基本練習なく、常に試合をする、のがよい。


参加者の年齢も実はどんどん高齢化している。

かなり高齢までできるのがよい。85歳くらいまでいくかも。

「ここは文化果つる地」とスポーツに力を入れても情けない図書館しか持たない市を揶揄する


が、体育館の放課後開放は素晴らしいアイディアである。





旅行のお土産をいただいたり、菜園の旬の野菜をおすそ分けしてもらったりと、いろいろ他の

面でも恩恵にあずかっている。

2016年8月27日土曜日

作家山崎豊子さん

2016年8月26日

      作家山崎豊子さん


若いころは外国に憧れ海外の小説を読んだ。
しかし歳をとるとともに、傲岸にも虚構の小説はしょせん絵空事と、小説から遠ざかった。

ある時、大地の子をTVで見て、原作を読むと凄い。

白い巨塔、二つの祖国、不毛地帯、沈まぬ太陽、運命の人、女系家族など一気に読んだ。
そんな話をしたら知人から新刊のムッシュ・クラタをプレゼントされた。

緊張感のある会話、大きな問題をはらみながら展開するストーリー。
凄い作家だ。並みの力量ではない。

そんなこんなで山崎さんに関心をもった。

彼女の書斎の写真を眺め、この庭に向かい作品を書いていたんだと想像したり、
取材に裏打ちされた膨大な工程表を目にしたりもした。

秘書として50年以上も山崎さんに仕えた野上孝子さんの
「山崎豊子先生の素顔」を見つけて興味深く読んだ。

取材を通して得た多くの魅力的な人々との出会い。
膨大な資金と労力と、時間を使う取材。

創作の原動力となったのは、戦争への怒り、2度と起こしてはならぬという思い。

そして強い正義感と、理不尽な立場を余儀なくされている人々への積極的な支援。

家族との葛藤は極力省略され、山崎さんの飾らぬ素顔が書かれている。

面白かった。山崎さんの唯一の贅沢はおしゃれをすることだそうな。



2016年8月25日木曜日

お呼ばれ

2016年8月25日
                  

                          お呼ばれ




Mさんから招待されてお昼前にお家を訪問。



手作りのお寿司をはじめ美味しいものをいただく。
6時間近く、何やかや話題続出のしゃべくり。



帰りには」夕食用のおもたせをいただく。

当日は夕食を作らない幸せな主婦だった。